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久しぶりの数学ネタか?

ということで、数学ネタ(というよりも論理学ネタ)に走ります。

有名なパラドクス(矛盾)があります。

「この文は偽である」

というもの。「この文」というのは上の文全体を指していて、かつ真、偽2種類の区別しかつけない場合、上の文はパラドクスとなります。

まず、上の文を「真」と仮定する。すると「この文は偽である」が正しい。すなわち上の文は「偽」である。よって、仮定と矛盾する。
次に、上の文を「偽」と仮定する。すると「この文は偽である」が「偽」であるのだから、上の文は「真」になる。よって、仮定と矛盾する。

これが上のパラドクスの仕組み。
これを記号を使って表すと、以下のようになります。

A:「Aは偽である」

つまり、Aという事象の内容が「Aが偽である」ということであり、言わば自己言及になっているわけです。メタミステリにも通じるものがありますね。

ここで疑問。
「真」か「偽」かをはっきりと決められるのはあくまで論理学の中の話。世の中そう白黒つけられるものではない。言うなれば「グレーゾーン」、すなわち『「真」でも「偽」でもないもの』があるとすればどうなるのか?

例に挙げた、
A:「Aは偽である」
で検証してみる。

まず、Aを「真」と仮定する。すると「Aは偽である」が正しい。すなわちAは「偽」である。よって、仮定と矛盾する。
次に、Aを「偽」と仮定する。すると「Aは偽である」が「偽」であるのだから、Aは「偽」ではない。よって、仮定と矛盾する。
そして、Aを「真でも偽でもない」と仮定する。すると「Aは偽である」が「真でも偽でもない」のだから、Aは少なくとも偽ではない。これは、仮定に矛盾しない。
ということはパラドクスではない?

なぜAを「真でも偽でもない」と仮定すると矛盾しない(と見ることができる)のか?それは「偽ではない」ことが「真である」ことと等価にはならないし、同様に「真でない」ことが「偽である」ことと等価にはならないから。つまり、「真でも偽でもない」という状態が存在するが故に、「真でない」は「真でも偽でもない」か「偽である」のどちらかになり、また「偽でない」は「真でも偽でもない」か「真である」のどちらかになる。したがって、Aを「真でも偽でもない」とおけば、「真でもない」し、「偽でもない」ので、結果「真でも偽でもない」ことになる・・・って当たり前っちゃ当たり前ですよね。

しかしAを「真でも偽でもない」と仮定すると、「Aは偽である」というAの内容は明らかに「偽」ではないのか?
そう考えることも出来る。しかし、Aを「真でも偽でもない」と仮定した場合、「Aは偽である」というAの内容は「偽」と確定することはできない考え方もある。なぜなら「Aが偽である」という事象にも「真」・「偽」の他に「真でも偽でもない」という状態の可能性があるから。
Aを「真でも偽でもない」と仮定したのだからAが他の状態(「真」または「偽」である)と確定できないかぎり、矛盾したことにはならない。この場合、「偽である」と確定できない考え方の根底には、「真でも偽でもない」という状態の存在がある。
Aを「真でも偽でもない」と仮定したが故に、「Aは偽である」と自己言及したAは「偽である」と断定できない。ってややこしい・・・・・・。

ここまで考えてくると、そもそも「真でも偽でもない」って何なのさ?という根本的な疑問さえ沸いてくる。世の中正しいか、そうでないかの2つなんだから、「それ以外の他の状態」ってあるわけないじゃないか。

あれ?とすると、「世の中そう白黒はっきりとつけられるものではない」というのは嘘か?いやいや、グレーゾーンってのは確かにあるぞ・・・・・・ということは「それ以外の他の状態」が存在することになるのか?あれ?矛盾するぞ・・・・・・?

という社会派パラドクスはどうでしょう?(っていうかそれはパラドクスじゃねぇ)

  by we_2006 | 2006-09-29 18:49 | 擬似数学ネタ

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